生い立ち
- 1954年2月18日、河和町の父美智雄と野間町出身の母愛子の長男として河和町北方に生まれた。両親を結びつけたのは、父方の祖父康男の弟で旧野間村の森田家の養子に入り、現「トウチュウ」を創業した森田美喬。恒夫生誕直後の2月28日、河和町と野間町の町議会は両町の合併案を全会一致で可決し、両町は愛知県知事に合併を申請。3月、知事は美浜町を設置する旨を告示。翌1955年4月1日、美浜町が誕生。
- 父美智雄(1927年-1994年)は河和中学教員(1948年~1963年)、河和中学校長(1983年~1987年)を勤めた。理科を担当。理科クラブ、バスケットボール部を指導。森田美喬の次男の元県会議員森田裕之、四男の前トウチュウ社長森田勉司、浦戸の鈴木正信、矢梨の渡辺幸二らは父美智雄のいとこ。
- 母愛子(1931年-1975年)は野間の「かざりや」旅館の5女。母方のいとこは約20人、「いろはや」旅館、民宿「一色荘」はいとこが経営。渡辺病院創立者の渡辺元嗣は母愛子のいとこ。
- 1960年4月、河和小学校入学。成瀬甲子子・小川清美・須崎豊らの先生が担任。やままる、山田自動車、桶兵、三協石油、紀伊国屋、岩本新聞店、マルカン、きくや、加藤化学、中野洋装店、森田屋、大和屋、山善、安井獣医、弥勒寺などの子弟は同級生。父親の転勤に伴い、小学4年3学期~中学1年は名古屋の富士見台小学校・千種台中学校。
- 1967年4月、河和中学校(2年)に編入。澵井文平・夏目安敏・山田正春・朝川清次の各先生が学年の担任。軟式テニス部。神谷元町長、伊藤布土区長、森田時志区長らは同級生。
- 1969年4月、半田高校入学。齋藤冨具神社宮司、中村正蔵寺住職らは同学年。
- 1972年4月、名古屋大学経済学部入学。美浜町出身の斉藤隆雄(切山)、中村重治(細目)は名大同期入学。藤井隆ゼミ(経済政策論)。卒論「外部不経済に関する一考察ー環境保全を目指してー」。毎年春休み・夏休みは野間の「かざりや」でアルバイト。1975年2月19日、22歳の誕生日の翌朝、母愛子病死(享年44歳)。1976年2月~3月、ゼミ生4人でリュック担いで1か月間の欧州卒業旅行。就職活動は、NHK記者を目指すも筆記試験で不合格、農林中央金庫に内定したものの欧州旅行後の1976年3月に辞退。卒業後、国家公務員上級試験を受験・合格。同年10月、環境庁に採用内定。東京に就職することになったが、父親、祖父母、親戚からは「10年で戻って来るんだぞ」と強く言われた。
職歴
1977.4.1 環境庁入庁(環境庁6期生、同期入庁11人)
- 1977.4-1979.6 長官官房総務課法令係員
- 石原慎太郎大臣の下、国会関係の連絡調整
- 石原大臣の私的諮問委員会「アメニティ懇談会」の運営補助
- 新政策づくりの庁内調整補助 など
- 横浜市中区山手に新築された総理府の独身寮に入居。中華街、港の見える丘公園などに近いが、通勤には1時間以上を要した。
- 課長(大阪出身)からは娘を、係長(同)からは妹を、それぞれ勧められたが「愛知の人しかダメ」と断った。
- 1979.7-1981.6 水質保全局水質規制課指導係長
- 東京湾・伊勢湾(三河湾を含む)・瀬戸内海の水質総量規制(COD)の導入(法改正作業、政省令制定、愛知県など関係20都府県に頻繁に出張)
- その後、三河湾の水質もCOD流入負荷の大幅削減によって改善されたが、1990年代初めから突然悪化、さらに2000年ころからもう一段悪化。一方、三河湾岸に立地する中部電力(現JERA)の碧南火力(石炭)は、1990年代初めに70万kW×3機が運開、2000年ころにさらに100万kW×2機が運転開始。COD流入負荷が大幅に削減されてきた中での湾内の水質悪化は、合計410万kWの発電所からの膨大な温排水の三河湾排出→海水温上昇→プランクトン増殖などに伴う湾内でのCODの内部生産が原因(竹内の見解(2015年)
- 湖沼保全法案の原案作成・各省調整(法案の国会提出は1982年)
- 東京湾・伊勢湾(三河湾を含む)・瀬戸内海の水質総量規制(COD)の導入(法改正作業、政省令制定、愛知県など関係20都府県に頻繁に出張)
- 1981.7-1983.6 人事院行政官長期在外研修員として西ドイツのボン大学(Universitaet Bonn)、ベルリン自由大学(Freie Universitaet Berlin) に留学。
- 1980年7月、人事院の長期在外研修員試験に合格。1981年7月から2年間西ドイツの大学に留学することが決定。それまでの間、父美智雄の要請に応じ、頻繁に河和に帰り、計8回「見合い」した(いずれも不成立)。横浜の総理府独身寮にあった家具・荷物は「トウチュウ」の川崎工場から野間に帰るトラックに載せ、河和の家まで運んでもらった。
- 1981年7月~10月、西ドイツの大学に在籍するためのドイツ語試験の準備のため南ドイツのムルナウ(Murnau)にあるドイツ語学校(Goete Institute)でドイツ語研修。10月にボン大学のドイツ語試験に合格。連邦政府の機関があるボンのボン大学で2学期(1981年冬学期・82年夏学期)を過ごし、1992年9月に環境関係の研究機関も多い西ベルリンに移り、1982年冬学期・83年夏学期はベルリン自由大学に籍を置いた。
- ボン大学では環境法のProf. Juergen Salzwedel(連邦政府の環境審議会会長)に、ベルリン自由では環境政治学のProf. Martin Jaenicke("Oekologische Modernizierung"の提唱者)にそれぞれ師事。西ドイツの環境・原子力政策、緑の党、エコロジー市民運動などについて研究。
- 西ベルリンではベルリン自由大学のほか、連邦環境庁(UBA)でインターン、ベルリン社会科学研究所(WZB)に出入り。UBAでは、Edda Mueller氏(後に、Toepfer 環境大臣の右腕として気候政策などで活躍、Schleswig-Holschtein州の環境大臣なども歴任)、Konrad-Otto-Zimmerman氏(後に、ICLEI(世界の環境自治体のネットワーク組織)の国際事務局長)、ベルリン社会科学研究所では、Udo Simonis所長(夫人はSchleswig-Holschtein州の州首相)、Helmut Weidner氏(都留重人氏、宮本憲一氏らと共同研究を実施していた比較環境政策研究の第一人者。)らの知己を得る。
- 南ドイツのムルナウでのドイツ語研修中に妻三津子(浜北市(現浜松市)出身)と知り合い、結婚。1982年12月12日、西ベルリンで長女晴香誕生。
- 1983.7-1984.6 長官官房総務課企画係長
- 環境庁の新政策づくりを主動。「環境保全型社会」を提唱。
- 環境庁編集の雑誌「かんきょう」に「政治としてのエコロジー」を寄稿。大石武・木原啓吉編の『地球の選択 緑を守れ』に「西ドイツのエコロジー」を登載。
- 1984.7-1985.6 大気保全局交通公害対策室室長補佐
- 道路騒音、航空機騒音、新幹線騒音・振動など担当
- 1985年6月4日、吉祥寺で長男悠造誕生。
- 1985.7-1987.9 通産省資源エネルギー庁企画調査課課長補佐出向
- 「21世紀エネルギービジョン」(新エネを含む日本のエネルギー産業挙げてのビジョン)の策定、「長期エネルギー需給見通し」の改訂、省エネ・代エネ大規模税制措置(石炭転換にも特別償却等あり)のとりまとめ・大蔵省折衝。このころは、いまだ地球温暖化・気候変動問題は政策課題にはなっていなかったが、このエネルギー庁での経験は、のちのCO2排出削減
- 同課及び両隣の課には太田房江(後に大阪府知事など、現参議院議員)、岡田克也(後に民主党代表、現立民幹事長)、小川洋(後に福岡県知事)、西村康稔(現経済産業大臣)らがいた。
- 1987年5月ブルントラント委員会(日本政府が運営経費を拠出)の最終会合が東京で開催。「われら共有の未来」(Our Common Future)を発表。「持続可能な開発」(Sustainable Development、SD)を提唱。大ブームの「SDGs」のSDは、これが起源。
- 1987.9-1989.6 企画調整局計画調査室室長補佐
- 「エコマーク」の発案・導入。ドイツの「ブルーエンジェル・マーク」(1978年導入)をモデルにした世界で2番目の環境ラベル制度。これをきっかけに「エコ」や「地球にやさしい」が日本に広まる。
- 「環境にやさしい暮らしの工夫」の企画・主筆。英国の「グリーン・コンシューマー」、ドイツの「エコの作法」などが手本。
- 1988年版環境白書の主筆(初めて地球環境問題を特集)。はじめてCO2排出量を算定、日本が熱帯林、エビ、穀物などの輸入が地球環境を損なっていることを検証。
- 1989年版環境白書の主筆(「エコポリス」(都市の水・ごみ循環、エネルギー代謝、ビオトープなど)を特集)。後の「持続可能なまちづくり」のコンセプトとなった。
- 「エコビジネス」、「エコライフ」などのイベント。「エコマーク」とともに「エコ」のブームの先駆けとなった。
- 1989.7-1990.6 企画調整局環境研究技術課課長補佐
- 国立公害研究所を国立環境研究所に改組、国研向けの公害研究一括計上費を廃し、地球環境研究総合推進費(現環境研究総合推進費)に。
- 同課の仕事とは別に、特命的に、資源エネルギー庁出向の経験を活かし、日本のCO2排出量を2000年までに90年レベルに削減する政策シナリオの計算・作成を開始、1990年10月の日本で初めてのCO2排出量削減目標の設定で結実。
- 1990.7-1992.6 地球環境部設置。同部企画課課長補佐(総括)
- はじめての国の「地球温暖化防止行動計画」(削減目標:CO2排出量を2000年以降90年レベルで安定化)の策定を主動。閣僚会議(議長:海部俊樹総理)で決定(1990年10月)。(この削減目標は、2000年には達成されず、やっと、2018年に達成された。達成までに約30年を要した。)
- この日本の削減目標は、1990年11月の第2回世界気候会議(ジュネーブ)において表明され、各国、国際NGOから賞賛の声。翌1991年1月からの気候変動枠組条約の交渉に弾みをつけた。条約は1992年5月にニューヨークで採択。同6月のリオデジャネイロでの地球サミットで署名開始。
- CO2削減のための環境税研究委員会を開始(1990年12年。佐和隆光京大教授らを委員に委嘱)(「温暖化対策税」が導入されたのは20年以上後の2012年度)
- ドイツ環境省のエダ・ミュラー局長の招きでAgenda 21"行動計画案に「ローカルアジェンダ21」を盛り込むための国際会議(ベルリン)に参加。
- 湾岸戦争に伴う大気汚染、海洋汚染に対処するため、専門家を数次にわたり、現地に派遣(1991年2-4月)
- 国連環境開発会議(「地球サミット」)(1992.6リオデジャネイロ)に向けた準備
- 「地球環境日本委員会」の設置(超党派の政治家・経済界(経済3団体+各地域経済連)・主要NGOがメンバー、会長:平岩外四経団連会長、顧問:竹下登元総理)(超党派の政治家:竹下登、橋本竜太郎、海部俊樹、愛知和夫、小杉隆、武村正義、広中和歌子、堂本曉子、岩垂寿喜男ら)
- 「地球環境日本基金」(公益信託)の造成。
- 「地球憲章」(Earth Charter)の提案・調整(国連の地球サミット事務局(事務局長:モーリス・ストロング氏)はリオで"Earth Charter"を採択すべく、日本をはじめ各国からの提案をまとめ、準備会合に提出したが、内容が環境寄り、先進国寄りと途上国から猛反発。4回目の準備会合(ニューヨーク)でリオでの採択断念。リオでは、途上国側と合意できた26の原則を「リオ宣言」として採択。
- (その後、ストロング氏及びミハエル・ゴルバチョフ氏(国際Green Cross代表)は、1995年に世界各地域からの有識者(日本からは広中和歌子元環境庁長官)からなる"Earth Charter"委員会を設置し、起草し、国際的なコンサルテーションを経て、2000年、4つの柱、16の原則からなる"Earth Charter"を採択)
- "Agenda 21"行動計画案への対処方針の調整(国連の地球サミット事務局が毎回の準備会合に提出する"Agenda 21"行動計画案への対処方針の庁内調整)。リオで採択された"Agenda 21"は、2015年のSDGsに下敷きとなった。
- 1993年8月~94年4月 細川内閣の広中和歌子国務大臣・環境庁長官の秘書官
- 1993年8月、細川内閣組閣。広中和歌子参議院議員が国務大臣・環境庁長官に就任し、秘書官となる。
- 大臣就任直後に京都の広中平祐・和歌子宅で開催された恒例の大文字焼を観る京都の知識人の集まりに参加。梅原猛氏(仙台に生まれ、内海で育つ)に「河和の出身で、父は内海小学校の校長もやっていた」と紹介。以後、何回か会う機会があった。
- 宮沢首相による衆議院解散によって廃案になった環境基本法案を国会提出、可決成立。
- 日中韓環境大臣会議(ソウル)、G7環境大臣会議(フィレンツェ)、アジア太平洋環境大臣会議(バンクーバー)に出席
- 広中大臣は友人の梅原猛氏提唱の「地球環境戦略研究機関」創設を武村正義官房長官、細川護熙総理に進言。石原信雄官房副長官は、即座に、地球環境に関する総理の懇談会を設置し、その中で具体的な役割などを提言してもらうことを決定。総理の懇談会の報告書は1995年1月17日に近藤次郎懇談会座長から村山富市総理に手渡された。17日の9時頃総理官邸で村山総理に手渡されたが、この時点では、その日の早朝起こった阪神淡路の地震の被害状況などの情報は総理官邸に届いていなかった。(広中和歌子氏は1995年から地球憲章委員会委員として地球憲章の起草に携わり、適宜、サポート)
- 1994年6月~94年6月 秘書課調査官
- 1996年6月、国連環境計画(UNEP、ナイロビ)管理理事会に出席。
- 1994年7月-96年6月 環境保全活動推進室長
- 「こどもエコクラブ」の企画・導入
- 「環境活動評価プログラム」(後の「エコアクション21」)の企画・導入
- 「グリーン購入ネットワーク」の企画・導入
- ISO14000シリーズの規格づくり、実施を支援。
- 容器包装リサイクル法案の各省調整。
- 地球環境戦略研究機関(IGES)の設置。総理の懇談会の報告を受け、具体的な組織形態、戦略研究の内容などについての検討委員会を設置。国際機関を目指し、まず、財団法人として発足させることとした。設置場所に関しては、全国27自治体から誘致要望。書面審査で5か所(仙台、神奈川、三重、神戸、北九州)に絞り、梅原猛・近藤次郎らの検討委員が現地調査し、票決、神奈川湘南国際村に決定。神奈川県住宅供給公社は建物を建設。環境庁は毎年5億円の拠出金(大蔵省に対し「国際機関への拠出金」として5億円を要求し、獲得)。初代理事長は森嶌昭夫名大名誉教授。
- 1994年12月、父美智雄病死(河和中学校校長退職直後に大腸がんが見つかる。手術後5年で死亡。享年67歳。葬儀には広中和歌子前大臣、環境庁同僚も参列。)
- 1996年7月-97年6月 大気生活環境室長
- 大気生活環境室は騒音・振動・悪臭が担当。
- 1997年12月の気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)(京都)に向けての2010年の削減目標づくり(環境庁としては1990年比マイナス5%を目指し、通産省などと交渉)。
- 1997年12月のCOP3(京都)では、内外のNGO、プレス対応。
- 「地球温暖化対策大綱」策定(削減目標:2010年90年比マイナス6%。2020年までに原子力21基増設、トップランナー規制、サマータイム検討など)の支援
- 1998年7月-99年6月 地球環境部環境保全対策課長
- 温暖化対策、オゾン層保護、熱帯林保全などの担当
- 1998年7月~99年3月 「サマータイム国民会議」(議長:茅陽一)を設置し、連合など関係団体、関係省庁との調整に当たり、同意を取り付ける。しかし、戦後のGHQによるサマータイムの経験のある高齢国会議員の反対により、議員提案の法案は国会提出に至らず。
- 地球温暖化対策法に基づく「基本方針」策定。原案をパブリックコメントにかけるも「原子力を明記せよ」との組織的なコメントが約1000通寄せられた。「基本方針」の調整に携わっていた課長補佐は基本方針の閣議決定(99年3月)直後に過労死。
- このころ、斎藤宏一美浜町長が数回訪れる。美浜の竹炭活動への地球環境基金の助成金の交付をサポートする。
- 1999年7月-2000年12月 ブッパータール気候環境エネルギー研究所(ドイツ)客員研究員
- ブッパータール気候環境エネルギー研究所(Wuppertal Institute for Climate, Environment, Energy)のErnst Ulrich von Weizsaecker所長には、1997年12月のCOP3(京都)の際に、同研究所に出向したい旨を打診。1999年4月に正式に書面で要請し、客員研究員としての受け入れ決定。
- Ernst Ulrich von Weizsaecker所長、Peter Henicke副所長、Herman Ott部長の下、ドイツ政府・EUのエネルギー・気候政策、「エコロジー税制改革」などの研究、「日独気候政策対話」(2回)の実施、ドイツの自治体の気候エネルギー政策・交通政策を現地を訪問して調査(調査内容については月刊「地球環境」にルポ風に連載)。これらをもとに「環境構造改革-ドイツの経験から-」(2004年、リサイクル文化社)を刊行。
2001年1月 環境省設置
- 2001年1月-2002年6月 環境省地球温暖化対策課長
- ドイツから帰国し、初代環境省地球温暖化対策課長に。
- 就任直後のブッシュ米大統領が京都議定書を批准しないと表明。日本の産業界は批准に猛反対、与党自民党、保守党も批准反対、外務省は対米追従路線、など四面楚歌の中で、批准に向け奔走。
- 2001年11月のCOP7(マラケシュ)において京都議定書を批准するための条件が整備。批准可能になった。
- 総理官邸の竹島官房副長官補が中心になり、関係省庁、経済界との調整。関係省庁間では、批准が合意され、2002年1月の通常国会における小泉総理の所信表明演説で「今国会で京都議定書の国会承認をお願いする」旨を表明。
- 批准のためには、①京都議定書の国内法(地球温暖化対策法を改正して、温暖化対策本部の設置、京都議定書目標達成計画の策定などを盛り込む)の整備、②「2010年には京都議定書の目標が確実に達成される」こと示したうえでの京都議定書の国会承認、が必要であり、このため、与党(自民党・保守党)との調整を行ったが、非常に難航。自民党政務調査会には特命委員会が設けられ審議、小泉総理へ要望書(米国説得など)を提出することで了承。保守党は関係省庁の事務次官や大臣の誓約書を要求するも、福田官房長官が保守党二階幹事長を説得し、収めた。
- 2002年6月4日、京都議定書批准。
- 2002年6月 2000年に制定されたモーリス・ストロング、広中和歌子らによる「地球憲章」の解説ブックレットを執筆・発刊。
- 2002年7月-2003年6月 環境省廃棄物リサイクル部企画課長
- 循環型社会形成基本計画策定(「資源生産性目標」(Weizsaeckerが提案した)などの設定)
- 廃棄物処理法の改正(実効性あるリサイクルの仕組の導入、不法投棄に厳罰、など)
- 「リユース・カップ」のモデル事業を実施
- 経団連廃棄物部会のメンバー(廃棄物部会長以下、会員企業の環境部長ら)と環境省廃棄物リサイクル部の部長以下の職員による経団連御殿場セミナーハウスでの合宿を企画・実施。これに驚いた経産省も、のちに同様の経団連との合宿を実施。経団連の廃棄物部会長(某社副社長)と環境省の部長・企画課長との蜜月関係に経団連事務局・経産省が不快感を示した。2003年7月、部長・企画課長は、そろって、国立環境研究所に異動。
- 2003年7月-2004年6月 国立環境研究所総務部長
- 所長らと中国新疆ウイグル自治区の環境研究所(ウルムチ)に赴き、研究交流の協定を締結。
- 名古屋にある国連地域開発センターの研修事業の一環として、中国・鄭州市にて講義。
- 2004年7月-2006年3月 地球環境戦略研究機関(IGES)上席研究員・エコアクション21事務局長
- 認証制度となったエコアクション21(環境経営)の事務局をIGES東京事務所に設置。事務局長として各種プログラムなどを企画・導入、認証事業、審査員試験などを実施。
- 日中韓環境大臣会議の合意に基づく環境ラベル・環境経営の協力に関する会議(北京)に出席。
- 「地球憲章+5」の国際会合(アムステルダム)に広中和歌子さんらと参加。
2006年4月1日 名古屋大学
- 2006年4月-19年3月 名古屋大学大学院環境学研究科社会環境学専攻環境政策論講座・教授
- 1999年、ドイツの研究所にいるときに名古屋大学から「環境の大学院を創るので、名大出身で環境庁で頑張っている竹内さんを是非教授として招きたい」との電話があったが、「まだまだ、環境庁・環境省でやらなくてはいけないことがあるので、数年待ってほしい。」と伝えた。2005年に名大から「そろそろどうですか?」との打診があり、これを受諾。
- 着任2日目の2006年4月2日、平野慎一名大総長に面会。平野総長は、父美智雄の河和中学での教え子。
- 2006年、環境政策論講座の教員・学生は社会環境学専攻が獲得した文科省の「『魅力ある大学院教育』イニシアティブ」の一環として、ドイツの自治体の気候エネルギー政策を現地調査。ベルリンでは、コジェネによる地域熱供給の大幅拡充によって市内からのCO2を1990年比25%程度減らしていた。デッサウ市では、急激な人口減少に対応するため、街の縮退化(「スマート・シュリンク」)が市民参加で構想されていた。ドイツ最大のミュンヘンのStadtwerkeは、2025年までに100万以上の都市として世界で初めて市内のすべての電力を再エネで賄うことを目標としていた。フランクフルトでは、Climate Alliance(CA)の本部を訪ねた。1990年に結成されたCAは、欧州のほぼすべての国の約1,500の自治体がメンバーとなり、自治体域内からのCO2の90年比マイナス50%を目指した活動を展開していた。
- CAと名大は、ドイツ連邦環境省(BMU)の「独日米自治体気候政策協力プログラム」事業に共同応募し、採択された。2007年から3年間、自治体の気候政策をステップアップするための取組評価プログラムの開発・試行、日独の自治体のワークショップ、スタディツアーなどを行った。これ以降、BMUの地域気候政策に関する日本との間の協力はすべて名大・CAを通じて実施。
- 2007年、同講座の教員・学生は、「名古屋マイナス80」のロードマップを作成。410万kWの碧南石炭火力は2030年頃には寿命が来るので、それまでに、名古屋市内の(スマート・シュリンクした)駅そば生活圏などではガスコジェネによる熱供給を(ベルリンのように)整備。発電燃料の石炭からガスへの転換によって市内のCO2は90年比で20%減り、コジェネの熱供給によって同じく10%減る・・。
- 環境研究総合推進費「低炭素都市づくり施策の効果とその評価に関する研究(研究代表者:井村秀文)」(2008年-10年)のサブテーマにおいて、このロードマップを精緻化するとともに、地域の脱炭素化ロードマップづくりのツールを開発。
- 2006年~2009年に、国の都市再生本部の助成金、名古屋市の緊急雇用対策の予算などを活用して、毎年、名古屋市中心部において、放置自転車を活用した共有自転車システムである「メイチャリ」の社会実験を実施。特に2009年には、60日間、300台の放置自転車、3万人を超える登録者数、9万9千回を超える延べ利用回数、最大回転率9.4回/日/台といった大きな成果を挙げ、「メイチャリ」は市民の間で一世を風靡。
- 2009年~11年には、環境経済政策研究「自立的地域経済・雇用創出のためのCO2大幅削減方策とその評価方法に関する研究(研究代表者:竹内恒夫)」によって、コジェネ、廃棄物系バイオマスなどの地域に根差したCO2削減策は、低燃費車への転換、太陽光発電の普及などの全国レベルの削減策より地域経済や雇用への効果が大きいことを検証。
- 2012年、ベルリン自由大学環境政策研究所所長のMiranda Schreurs教授の下の派遣されていた博士研究員は、2008年からEC(欧州委員会)が始めていた「市長誓約(Covenant of Mayors)」の事務局(ブリュッセル)を訪ね、調査。市長誓約は、市長が①持続可能なエネルギーを推進する、②国の削減目標(NDC)を上回る削減を目指す、③気候変動への適応・レジリエンスの向上を図る、の3項目を誓約し、行動計画を策定し、その進捗状況を事務局に報告する仕組み。ECは、これによって国レベルの削減目標の底上げを狙った。
- 2013年~2015年には、環境研究総合推進費「『レジリエントシティ政策モデル』の開発及びその実装化に関する研究(研究代表者:竹内恒夫)」が採択。電気・ガスの製造施設や供給網が自然災害に対応するためには、①より強固にする、②復旧しやすくする、③別のシステム(例:コジェネ)に転換する、といった方策があるが、これらについて、停電回避コスト、設備投資額、CO2削減量のマルチクライテリアによって評価(③が最も高い評価)。
- 2015年、一連の地域気候エネルギー戦略研究の成果の実装化のため、ECの「市長誓約(Covenant of Mayors)」をモデルにした「日本版『首長誓約』」を発足させ、2014年4月に設置された「持続的共発展研究教育センター」に事務局を設置。手始めに、豊田市長の仲介により、西三河9市1町の首長に個別に説明し、担当者間での数次にわたる協議を経て、2015年12月、5市が共同で誓約し、その後、共同の行動計画を策定。
- 2016年春、ECは、Covenant of Mayorsを日本、北米、南米、インド、東南アジアなどの地域・国に広めるため、これを実施する組織を地域・国ごとに募集した。名大は、CAとコンソーシアムを組んで日本を対象に応募し、同年末、8つの応募団体(他はすべて欧州の大手コンサルタント)の中から採択。このIUC(International Urban Cooperation/Japan)プロジェクト(4年間180万ユーロ)は、名古屋大学が獲得した初めてのEUプロジェクト。2017年2月から各地域・国で準備が開始。2014年から米国のブルームバーグ財団がICLEI(世界で約1,400自治体が会員)を資金支援して、ECのCovenant of Mayorsに酷似したCompact of Mayorsを展開した。両者はGlobal Covenant of Mayors for Climate and Energy(GCoM)に統合され、GCoMの傘の下に各地域・国の事務局は地域GCoM(CoM Japan、CoM EU、GCoM Indiaなど)を担うこととなった。
- CoM Japan(世界気候・エネルギー首長誓約/日本)は、2018年7月に発足し、同年8月から首長による誓約が開始され、2022年10月末現在、39自治体が誓約し、これに取り組んでいる。共発展センターに置かれた事務局は、誓約の手続き、誓約自治体の拡充のための活動のほか、誓約自治体に対し、インベントリの作成、削減目標の設定、適応評価などに関するテクニカルサポート、地域エネルギーシステムなどに関するコンサルティングサービスなどを実施。また、誓約後2年以内に策定された行動計画の評価を行い、必要に応じて誓約自治体にコメント・アドバイスをフィードバック。
- 2019年3月名古屋大学を定年退職。同4月、名誉教授の称号授与。
- 2019年4月~2021年1月、2021年5月~2023年3月(予定)、名古屋大学大学院環境学研究科特任教授。
学外の委員など(2006年4月-現在)
- なごや環境大学実行委員
- 地球憲章アジア太平洋・日本委員会(代表:広中和歌子元環境大臣)事務局長
- 環境省中部地方環境事務所「EPO中部外部審査委員会」委員
- 愛知県「あいち地球温暖化防止戦略フォローアップ委員会」委員長
- 三重県「三重ごみ固形燃料発電所安全管理会」委員長
- 内閣官房「地球温暖化問題に関する懇談会・中期目標検討委員会」委員
- 中部ESD拠点協議会運営委員長
- NPO法人中部リサイクル運動市民の会参与
- 名古屋市「脱温暖化2050なごや戦略策定検討員会」委員
- 岡崎市「水循環推進協議会」委員
- 三重県環境審議会専門委員(廃棄物部会長)
- 愛知県環境審議会委員(大気部会長)
- 日進市「一般廃棄物処理基本計画策定委員会」委員長
- 知多南部広域環境組合「ごみ処理施設技術検討委員会」委員
- 名古屋市「低炭素都市なごや戦略実行計画協議会」委員(部会長)
- 名古屋市環境審議会専門委員(地球温暖化対策計画書制度部会長)
- 愛知学長懇話会コーディネート科目「続・持続可能な社会Ⅵ-持続可能な開発のための教育(ESD)-」コーディネーター
- 愛知県「新たな地球温暖化戦略検討委員会」委員(副座長)
- 安城市環境審議会委員
- 中部エネルギー市民会議呼びかけ人
- 中小企業家同友会全国協議会「同友エコ」審査委員長
- 環境省中部環境事務所「平成24年度地域循環圏形成推進調査検討会」委員(座長)
- 愛知学長懇話会「ESD企画委員会」委員長
- 愛知県「あいち温暖化防止戦略2020推進会議」委員(座長)
- 名古屋市環境審議会委員
- 環境省中部地方環境事務所「平成25年度地域循環圏形成推進調査検討会」委員(座長)
- JICA中部(中部リサイクル運動市民の会請負)「総合廃棄物管理研修」講師
- 愛知学長懇話会「サステナビリティー企画委員会」委員長
- 岡崎市「地球温暖化対策実行計画協議会」委員長
- 愛知県「あいち地球温暖化対策戦略づくり検討会」委員(副座長)
- 岡崎市環境審議会委員
- 愛知県「あいち環境賞」審査委員会専門委員